真のうつくしさを描く-『わたしが・棄てた・女』

ここでは、「真のうつくしさを描く-『わたしが・棄てた・女』」 に関する記事を紹介しています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
DVD人はどのような場合にエゴにとり憑かれた自分のみにくさに気づくのか-解説より

遠藤周作センセの『わたしが・棄てた・女』のテ-マは深いッス。

なんともやるせないぐらいに献身的で゛バカ゛と叫びたくなるほどに『愛』に満ちている主人公。そしてそれ故に堕ちてゆくセツナサ。

無心の愛なんてもんを実践するのは、今の世の中では最も難しいもののひとつなんじゃないかと思うんですが、人が生きるのに最も必要なことであるんじゃないかと思うのですよ。この主人公の女性とは対照的に、世の中を上手く泳ぐ主人公の愛し続けた男性が、主人公の最期を知るくだりでは、彼女の崇高さと男性のみにくさとがくっきりとコントラストをなして、読み手にグググッと迫ってきます。

やれブランドだ、出世だ、カネモチだ、そういったもんに血道上げるのもひとつだと思いますが、人間の本当の価値ってのは、そんなウスッペラなとこにあるんじゃない。そんなことを再認識させてくれる、人によっては気づかせてくれる一冊でございマス。

主人公のモデルとなった井深八重さんは、ソニ-の創始者井深大さんの遠戚にあたるそう。

それと、邦画もつくられてますが、フランス映画で本書が翻案でないか。と言われてる映画がございマス。なんかヨサゲ。これは見たいかも。

ということで、これもブッククロッシングで旅立たせマス。どこぞで見かけたら、読んでみてくださいまし。
-------------------------------------------------------------------------------
二度目のデイトの時、裏通りの連込旅館で体を奪われたミツは、その後その青年に誘われることもなかった。青年が他の女性に熱を上げ、いよいよ結婚が近づいた頃、ミツの体に変調が起こった。癩の症状である。……冷酷な運命に弄ばれながらも、崇高な愛に生きる無知な田舎娘の短い生涯を、斬新な手法で描く-裏表紙より
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://zefiro04.blog4.fc2.com/tb.php/225-756e1684
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。